吹きでもの 夜も深まり、オレンジの電車は各駅停車に切り替わった。山子の口の中は中和しきれなかったお酒でカラカラだ。髪が油を吸って、重い、腕も肘も腿も重い。まぶたも重かった。わたしはわたし自身が抱えるどんづまりのアホに重々しさを感じていた。酒の席で吐露した感情に気圧されていた。わたしはある女が大嫌いだった。嫌えば嫌う程同じ事を考え、始終頭を締め付けた。彼女が正論を言っても、欺瞞を言っても、なんなのか、わけ、解んない。瞬間的に、ニキビが増えるような嫌なストレスを感じていた。 眼前には座席を二人占めする、学生と思しき男子。酔いがまわって起き上がれないまま、寝入ってしまったようだ。 新宿、新宿、新宿。中年男性二人が、肩を組んで乗車した。わたしの隣にでっぷり座り込んだ。片方の男と肩があたる。ジロジロこちらを見ている。中年の酔っ払いは例外なく若い女の肌が好きだな、とわたしは思った。何度か目が合う。彼らは、眼前に広がる、男子二人の肢体を眺めていた。若い寝顔を見ながら感想らしき事を言う。「若いなあ」「たいしたもんだなあ」どうやらこの巨漢たちも酔いがまわっているらしく、視線がおぼつかないまま何度も同じ事を言う。合間を縫って、我々は所詮いち労働者に過ぎないから・・・、と昨今の時事問題を自らのフィールドへ落としていた。隣の巨漢は体を持ち上げて立ち上がる。「起こしてやろうか」と呟く。が、男子二人に近づく事すらなく、またすぐ座りなおす。 なんだか違和感を覚えて、別段興味もなかった隣の巨体二つをまじまじ眺めると、妙だった。腿がこすりあわされているように見える。内緒のゲームみたいに、お互いの腿に指先が触れあっている。 アッ?って山子は益々興味深く近づいた。目が遭った。やっと解った。彼らはわたしに怯えていた。 彼らは男同士で各々の嗜好を慰めあい、若い男子の無垢な青さに惹かれ、流行りの服を纏い、サンダルにペディキュア、どっかりと足を組むその傲慢な女という生き物に怯えているんだ・・・・。 腹に綿がつまるような。 この2週間、消化に向わない事柄が山子を苦しめていた。その事柄は今、形となった。山子はあの女が嫌いだった。 山子は俗世を考えていた。 アメリカの副大統領の娘はレズビアンだ。山子は笑った。俗世に媚び、俗世を忌み、俗世の改革を担う彼の娘がレズビアンだって、週刊誌のネタだった。オレンジの電車はビュンビュンとばして、夜が更ければ規則どおりその速度を落として、沢山駅にとまるんだって、走り去る世界のルール。男の子達の寝顔は美しく、隣の巨体は嬉しそうに、そしてもの悲しそうにそれを見つめ、山子は嫌いな女の事を考えまいと必死だった。 男子二人は、ゲイの熱視線など露ほどにも知らず、ただ中央線の座席を占領していた。 御茶ノ水、御茶ノ水、御茶ノ水。 巨体は二人揃って降りてった。男の子たちは相変わらず寝こけていた。巨体達が幸せであろうとなかろうと、彼らは戻ることもなく、労働者として社会に従事して、明日も働く。 山子は俗世が嫌いだった。すなわち善を善とし、悪を悪とだけ各々の都合で決め付ける欺瞞の矛盾、もの哀しさと狂乱が怖かった。俗世の歯車に絡まり、社会的立場を得つつも、自身はそれに踊らない恒常性を保っていくのだと、その信念は今に食い荒らされそうだった。 流行りの靴を履いて、マニュキアをして、足を組んで、ナンパされたら気強く断って、その男を笑いものにして、俗世に潜伏しつつ俗世を嫌い、しかしそうである自分をも嫌ってはならなかった。辛かった。吹き出物のように扱われる社会的弱者。若さに降るニキビは、歳をとったらポロリと落ちていくんだと社会は言う。 みんなに同化して、強さを保って、色んなものを理解しようとして、実在する世界と良心のもとに葛藤する。それが世間でいう若さだというんなら、私達はなんで永く生きて歳をとるのかな。山子は神田で降りてった。 |